再婚したいという願いはかなうのか

婚したい、再婚したいという願いは、祈ったり念じたりすれば実現するのでしょうか?

私は宗教家ではありませんし、特定の宗教を信仰しているわけではありません。

ただ、仏教におもしろい記述がありましたので、ご紹介いたします。


【お釈迦様の教え】


お釈迦様は、仏教を作られた方です。

ただ作られたと言っても、お釈迦様は各地を歩いて教えを説いていました。

お釈迦様の教えをきちんとした教典にまとめ仏教としたのは、お釈迦様のお弟子さん達です。

お釈迦様は、王子の身分を捨てて出家された方です。王子としての暮らしと私欲は、すべて捨てました。

そしてお釈迦様は、念じたり祈ったりしても自分の願いはかなわないよ、と教えました。

考えてみれば、当然のことと言えるでしょう。

お釈迦様は自分から王子の身分を捨てちゃったような人です。

神様にお願いしてお金が欲しいとか、離婚したいとか、再婚したいとか、受験に合格したいなんて俗物的な願いを、神様が聞いてくれると教えるはずがありません。

そんなことよりも、今の自分の幸せに気がつきなさい、と教えました。

今、自分がどれほど恵まれて満たされているかに気がつけば、幸せを感じられるはずだと。ちゃんとご飯が食べられて、仕事があって生活ができることが、どれほど幸せなことか気がつきなさい、と。

たしかに、その通りだと思います。

何かを願うと言うことは、裏を返せば現状が気に入らない、不満を表明していることと同じなのです。いつもいつも不満を表明している人と、仲良くなりたいと思う人は少ないでしょう。

今が一番幸せです、と言う人に神様は味方するように思えます。

でも、このお釈迦様の教えは、あまり広がりませんでした・・・。



願いがかなう宗教に変化】


お釈迦様はインドの生まれですが、インドではヒンズー教が主流となり仏教は広まりませんでした。

やっぱり人間は、祈ったりしたら願いがかなうとしたほうがいい、と思ったのです。

やがて仏教にもいろいろな宗派ができて、祈ったり念じたりすれば願いがかなう、という教えが広まるようになりました。

そして人の欲望や願いが、さまざまな技術を飛躍的に発展させて、便利に暮らせるようになりました。

人の欲望と願いが、ジェット機を作り、パソコンを作り、スマートフォンを作ったのです。

だから欲望や願いは、悪いものではないのです。私たちの暮らしをより豊にする、とてもすばらしいものなのです。


では神様にお願いする、祈りを捧げるというのは、結局どういうことなんでしょう?


パソコンの発明もスマートフォンの発明も、正当な努力なくしては発明されません。いっぱい研究して、ちゃんと知識があって、何度も試行錯誤して、ようやく完成したのです。

神様にお願いしただけで完成したわけではないのです。

ただ正当な努力を重ねても、本当にできるかどうか、人間は不安なんです。

だから神様にお願いするんです、祈りを捧げるんです。

こうしてお願いしたり祈ったりしていると、なんとなくできるような気分になってくるんです。そして自分にはできそうだと思った人間にだけ、奇跡が起きるんです。

とても立派な衣装を着たお坊さんやらいろんな人が、自分のために一生懸命お経を唱えて祈ったりしてくれます。

鐘をジャンジャン鳴らしたり、たくさんの人が汗びっしょりになって踊ったりしてくれる宗教もあります。

そんな立派そうな人が自分のために一生懸命やってくれている姿をみると、なんかうまくできそうだ、願いがかないそうだ、という気になるのです。

そして本当にその気になった人に、奇跡が起きるのです。

だから神様にお願いして「その気になる」というのは、願いをかなえる上でとても大切なことなのです。


離婚したい、もっとお金が欲しい、素敵な男性と出会いたい、そのように神様にお願いするだけは、何も願いはかなわないということは、もうわかりましたね。

自分はこういう努力をしている、こんなふうに行動している、だからきっと願いはかなうはずだ、どうか神様よろしくお願いします、と願った人だけ、願いがかなうのです。

ここでいう「正当な努力」というのは、自分からできる行動のことです。

再婚したいと思ったら婚活するとか、やれることはいろいろあるでしょう。

離婚したいと思ったら、別居先を探すとか、仕事を探すとか、やるべき行動はすぐに思いつくはずです。このような具体的な行動のことを「正当なる努力」というのです。


「正当な努力」+「神様へのお願い」=「自分がその気になる」


こうなった人だけ願いがかなう、とういうことのようです。

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